ことあるごとに「気をつけなさいね」と言っていた祖父の気持ちが今よくわかる。

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セスナ機の事故、とてもとてもやりきれないですね。
セスナ機事故の映像ニュース
事故の直接の原因はまだわかっていないようですが、
普通に日曜の午前中、家で過ごしていた女性が、
こんな事故で亡くなってしまうなんて、本当にやりきれない。
身内だったらどんな想いか。


 
さらに、今日の定時後、Yahoo!ニュースを見ていると、
中国のショッピングモールのエスカレーターの事故があり、
この事故で息子だけはなんとか助けた母親が死亡とのこと。
 
亡くなった人には何の非もないし、関係すらない。
予兆すらまったくなかったのです。
各地で起こる災害も同じことが言えますね。
こんなニュースを見聞きすると怖くなり、苦しくなります。
 
 
 
いつ自分の身、あるいは身近な大切な人の身に起こるかわかりません。
僕は断然、自分の身よりも、身近な人の身に起こる方が恐怖です。
もしそんな出来事でその人がいなくなってしまったら、
いったい僕はどうしたらいいのだろう。
何かを恨む気力も出ないだろうな。そう思います。
 
 
 
最近彼女ができ、その彼女が慌て者なため、
心配性の僕はいつも心配ばかりしています。
近々友達と遠出をするということも言っており、
この数日、すっかり「気をつけて」が口癖になってしまっています。
 
 
そんな折、ふと、昨年亡くなった祖父のことを思い出しました。
祖父は、僕が小さいころから、本当によく「気をつけなさいね」と言う人でした。
もちろん僕だけじゃなく、出かける家族全員に声をかけていました。
 
小学校も高学年になると、いちいち「気をつけて」と頭をなでる
祖父のことを、「わかってるよ!」とうるさがりましたが、
今は祖父の気持ちがわかる気がします。
 
 
 
あれは心配性の祖父の単なる口癖ではなく、
“祈り”だったのだと思うのです。
 
 
自分の目の届かないところに出かけていく家族に、
「無事に」と祈る気持ちを伝える。
その方法って、「気をつけて」という言葉をかける以外にないのです。
 
 
「ああ、そうだったのか」と一人納得したとき、
例えウザがられても祈りを送り続けられる人になろうと思いました。
 
 
祈りというのは、真摯な思いながらもどこか自己満足な行為です。
自分が祈った、伝えたという事実が大事なのです。
 
 
 
 
今般のニュースのとおり、世の中、一寸先は闇です。
 
その闇を、少しでも照らしてあげたいという想いが祈りなのです。
 
亡くなった方のご冥福と、遺族のやまぬ痛みが少しでも和らぐことをお祈りします。
 

コメント

  1. M.I.F より:

    親もきっとそうなんでしょうね。心配しすぎるんちゃうかっていうくらい色々言われますが、
    大切に思い、祈りを伝えたいんやろうなぁと。
    自分ももう少ししたら、(今でも彼女にはしばしばいうにしても)その気持ちがわかってき出すのでしょうかね。

    自分が気をつけてるだけではどうにもならない事故は、本当に胸が痛みます。
    (加害者側?のヒューマンエラー的なものだとなおさら・・・)

    • かずかず より:

      当然親もそうでしょうね。言わずにはいられないんだと思います。
      僕もしきりに心配する側になってわかりました。親になったときなどにはどうなることやら。

      本当にやりきれないの一言ですよね。本人や遺族の無念を思うと、もう何も言えません。
      ヒューマン得エラーでの事故は本当にいろんな事象や感情が渦巻いてしまいますよね。

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