Mr.Children「お伽話」の歌詞学。“汚れた俺”は“清らかで間抜けな奴”に憧れている。

12/20に発売されたDVD『Mr.Children、ヒカリノアトリエで虹の絵を描く』を買いました!もちろん全体的にどんな内容か楽しみだったのですが、個人的には歌詞が未発表の新曲「お伽話」の歌詞が明かされると思って楽しみでした。

スポンサードリンク

 

歌詞の発表…なかった

しかし…しかし!なんと、DVDのパッケージを開けてみると、未発表曲の「お伽話」と「こころ」の歌詞は書かれていませんでした。やっぱり音源化がまだだから歌詞もまだなんですね。(※2017.2.24現在。ただ、「こころ」の歌詞は虹ツアーの参加者にだけ明かされています

ですが、DVDの中では「お伽話」の映像がフルコーラスで映っていました。なのでこれを聞いて歌詞を確認することができます。
そこで、僕のブログなんかよりも早々と歌詞を書き出しているサイトさんの歌詞を拝見しながら曲を聞き、確認させていただいたうえで歌詞を拝借します。

 

お伽話の歌詞

別にもう上手くなんてやろうと思ってない
そもそもこうして今俺が暮らしてる自体が
お伽話みたいで笑えてくるんだ

ある人は覚せい剤で警察に連行されて
ある人はわいせつ行為を雑誌に暴かれた
どちらかっていうと俺はそっち側の人種

泣いても笑っても一度きりのLife
札束を積んでも引き返すことはできない
悔やんでも悔やんでも
悔やみきれないことがあっても
それはそれで もうどうしようもないこと

誰かが落とし穴を 楽しそうに掘ってる
俺もまた負けじと スコップを片手に握りしめ
さぁ 間抜けな奴はどっかにいないかな

意味もなく誰かを傷つけたい日もある
真っ当ってのがなんだかわからないし 知りたくもない
逃げても逃げても
どこまでも追いかけてくるんだろう
自分自身っていう亡霊

泣いても笑っても一度きりのLife
札束を積んでも やり直すことはできない
洗っても洗っても
こびり付く いやらしさがあるけど
それはそれでもうどうしようもないこと

清らかでいようなんて今さら思ってない
だけど そうあれたらなってどこかで願ってる
お伽話に出てくるような
間抜けな奴はどっかにいないかな

歌詞全体の解釈

歌詞を聞き始めてまず思うことは、「なかなか毒があるな!」ということ。桜井さんには毒の要素もあるのは、メンバーの田原さんも話していましたし(ファンクラブ会報で見た記憶がある)、「ニシエヒガシヘ」や「フェイク」「REM」など、毒のある曲はすでにいくつもありますよね。そのラインナップに加わる一曲なんだと思います。

※僕の歌詞解釈は歌詞を物語と捉えて進んで行きます。

主人公「俺」は何か過ちを犯してしまった人なのでしょう。ただし、覚せい剤とかわいせつ行為とかそういう完璧に犯罪!という過ちでなく、親しい知人を裏切ったとか、自分の利益のために周りを利用したとか、そんな感じの過ちだと、僕は想像します。

そんな自分や自分の行為を、悔やみつつもどこかで肯定している心境が歌詞のそこかしこに見て取れますよね。「そうしないとやっていけなかった事情があったんだ」と自分に言い聞かせつつ、それでも結局は、間抜けだけど清らかな人種に憧れているんですよね。

スポンサードリンク

歌詞の深読み

では、ここからは僕の主観MAXで、歌詞をポイントでつかみながらこの歌詞の物語を深読んでいきたいと思います。
 

どちらかっていうと俺はそっち側の人種

覚せい剤やわいせつ行為を暴かれて社会的に落ちてしまう人がこの世にはいる。ニュースや雑誌でこれらの類の記事を見つけるのは簡単ですよね。
この部分の歌詞で、主人公「俺」は「俺はそこまで行かないけど、人間を2種類に分けるなら、そんなことしちゃう側に来ちゃうんだろうな」と思っているのが読み取れます。
 

誰かが落とし穴を 楽しそうに掘ってる
俺もまた負けじと スコップを片手に握りしめ
さぁ 間抜けな奴はどっかにいないかな

人を嵌めて自分の得を優先している奴らが世の中にはびこっている。おちおちしていられない。俺もスコップを装備してないと嵌められる側の人間になってしまう。早く間抜けな奴を探して、嵌めてやらないと…!
 
そう思っている「俺」の心境が書かれた歌詞ですね。
 

逃げても逃げても
どこまでも追いかけてくるんだろう
自分自身っていう亡霊

とは言うものの、“自分自身っていう亡霊”に追われている「俺」。この自分自身っていう亡霊がどんな気持ちから生まれた亡霊かと言うと…答えは最後の歌詞に出てきます。
 

清らかでいようなんて今さら思ってない
だけど そうあれたらなってどこかで願ってる
お伽話に出てくるような
間抜けな奴はどっかにいないかな

ここですね。「俺」は本心では清らかな人間でいたいと願ってるんです。その本心が、周りに流され、他人を落とし穴に嵌めようと行動する「俺」を攻め立て、追い回す亡霊になっているのです。
 
そして最後、「俺」のなかでは、清らかな人間イコール「間抜けな奴」なんでしょうね。確かに、落とし穴にまんまと引っかかる人は、他人の悪意や企てに気づかないから引っかかるのです。
怪しさ満点の魔女にもらった毒リンゴをかじっちゃう白雪姫とか、柿の実を取ってやるというサルに実を投げつけられて死んでしまうカニとか。
 
それを“間抜け”と揶揄しながらも、その清らかさに憧れている男。それがこの歌詞の物語の主人公「俺」なのです。

 

最後に

主人公「俺」は2つの意味で「間抜けな奴」を求めていることがわかります。
1つは、そいつを嵌めて自分の利益を得るため。
もう1つは、「ああ、人を疑わず嵌められる清らかな人間もいるんだな」と安心するためです。

「札束を積んでも引き返すことはできない」のフレーズには、人を嵌めて得た札束でも、人生のやり直しツアーのチケットは買えないことに気づいている「俺」の姿が描かれている気がします。

最初に、この曲は桜井さんの毒だと書きましたが、毒を描くことでその反対の清らかなものを浮き彫りにするという作詞のねらいが潜んでいるようにも見える深い歌詞ですね。

 

こちらもオススメ!

 


Mr.Children詩集「優しい歌」

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*