『西郷どん』38話。幸せは自分が決めるというが、吉二郎の戦死は悔いが残り過ぎる。

『西郷どん』38話。幸せは自分が決めるというが、吉二郎の戦死は悔いが残り過ぎる。 西郷どん

とっても久しぶりになってしまった「西郷どん」の記事です。見なくなったワケではありません。子どもが産まれてバタバタしていて、録画でしか見れなかったからです。今日はたまたまリアルタイムで見れました。

さて、今回の38話。まさかの吉二郎が死んでしまいました。先週の次回予告のときから、「吉二郎がなぜ撃たれるの!?」と思っていたのですが、そういうことでしたか。

考えてしまうのは、吉二郎は本当に幸せだったのか?ということ。本人は死に際に幸せだったと言っていましたが、妻と子を置いて・・・それは現代の価値観なんでしょうかね・・・。

 

「幸せは自分が決める」なら幸せ

「幸せは自分が決める」という言葉、本も出ていたりしますが、結構よく聞く言葉ですよね。

この言葉、僕自身はとても正しいと思っています。正しいというか、僕の価値観に合っているんですね。

それで考えるなら、「一度でいいから薩摩隼人として侍働きがしたい」という願いを叶えることができた吉二郎は幸せだったと言えるでしょう。

しかし、やっぱり悔いが残ります。最後まで胸にとどめておけば死ななかったのに。とか、妻と小さい子がいるのに。とか、思っちゃいます。

 

西郷家での役割を投げ出してない?

今日の話の最後に、吉二郎が兄の吉之助のためにこっそり貯金をしていたことがわかりました。そのための細かな家計簿もつけていたようでしたね。

そうして長男の不在の家を守るという役割が、吉二郎にはあったのですよね。これは吉之助が薩摩から離れる選択をしたときから始まっていました。「家を頼む」と行った吉之助に、吉二郎は「任せろ」と答えていましたよね。

西郷家全体から見ると、吉二郎の役割は家を守ること。それはお金の面だけでなく、畑仕事や村での付き合い、また自分の務めなど、幅広く、そして大きな責任があったはずです。

今回、吉二郎は自らの希望で戦に行くことを選んだのですが、それは家を守る役割を投げ出しているのでは?と考えてしまいました。

それでも、妻の園をはじめ、家族の誰も吉二郎の希望を否定せず、止めなかったのは、これまでの吉二郎の働きや家族への姿勢が全員に認められていた証拠だとも言えます。

でも逆に言えば、そこまで認められて、必要とされているのなら、最後まで侍働きはせず、家を守って生きるという選択も、全然アリだったのになぁと、視聴者としては本当に惜しい思いがします。

 

 

吉之助が薩摩に帰ったのも吉二郎の死が原因では?

今日の衝撃はもうひとつありました。

ここへ来て、西郷が薩摩に帰る!?

この場面、さすがに大久保の言い分に共感してしまいました。このタイミングで家に帰るって・・・。大久保が言う通り、ずっと背中を追いかけてきた存在が第一線を去るなんて、裏切られたとさえ思えてしまいます。

そしてこの西郷の決断の裏には、吉二郎の死があるのでは?という感じがしました。吉之助自身は「多くの兵を死なせた責め」と言っていましたが、そこには吉二郎の死のことが大きく関係している気がします。

史実はわかりませんが、この大河ではそのように見えてしまいます。吉二郎の死は、日本の中心にも影響を及ぼしたことになるんですね。

 

はてさて、『西郷どん』も残すところ12話ほどですか。日本史、特に幕末以降の近代史が苦手だった僕には楽しみながら勉強する機会でもあります。西南戦争がなんで起きて、どうして西郷は死んでしまうのか、それすらも知りません。

ドラマの展開と歴史を知ることの両方の意味でハラハラドキドキです。またリアルタイムで見れたら記事を書きたいと思います。

 

 

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