一度でもサボったら、最後に泣く資格はない。

小学4年生からずっと野球をしてきた僕ですが、
今では肩を痛めてしまい、草野球チームからも戦力外通告を受け、
現在ではすっかり“元野球人”が板についてしまいました。
 
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しかし、運動不足になると体がどことなく気持ち悪くなるので、
今でもちょこちょこランニングをします。

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そうしてランニングをはじめて、精神的にも体力的にも佳境に入ってくると、
高校野球時代に嫌々走らされたときのことを思い出すのです。
 
特にピッチャーだったので、日ごろの練習の大半はランメニューでした。
その後にキャッチボール、投げ込み。
そして最後はまたランニングです。 
  
そんな風に走っているとき、スタミナに不安のある投手だった僕は、
すぐにバテてしんどくなるのでした。
「ああ、もう無理。ちょっとだけ歩きたい」そんな気持ちが頭をよぎります。
 
そんなとき、どうしてそんな論理を思いついてしまったのか、
とにかくこんな言葉を頭が自作してしまったのです。
 
 
1度でもサボったら、最後に負けて泣く資格ないよなぁ。
 
 
誰かに教えてもらった言葉でもなんでもなく、
何となく自然に思いついた考え方でした。
単純な論理ですが、それだけにこれはマジだなと感じました。
思い浮かべた自分が一番ハッとしたのを覚えています。
 
それからというもの、僕は自分のこの言葉に勝手に縛られ、
苦手なランニングをやりこなすことになりました。
自慢とかではありませんが、高校生の割には偉かったなと思います。
いや、自慢ではないのです。
 
 
だって、最後の夏には初戦敗退。
結果がついてきたワケではありませんでした。
 
その代わり、思い切り悔しがって泣きました。
もうですね、手とかに落ちてくる涙がお湯みたいに熱いんですよ。
あんな経験は最初で最後です。
 
 
泣いてもいいかなと思えたのは、
先ほどの自作してしまった言葉があり、
それを自分なりに守ってきた自負があったからです。
 
 
きっと甲子園に出ている子たちは、こんな言葉自作しなくても
実力もあり、上を目指して頑張れる子ばかりなのでしょうけれど、
僕にはこんな言葉がなければ頑張れなかったでしょう。
 
それでも、こんな言葉を10年経った今でも思い出すものです。
上を目指して走り続けなければいけないのは、人生を終えるまでです。
くじけそうになったときは、この言葉を思い出そうと思います。
 




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一度でもサボったら、最後に泣く資格はない。」への2件のフィードバック

  1. M.I.F

    どんなに辛くても全力で頑張ったからこそ、最後の試合に涙を流せるというのは分かります。
    中学の時はなんだかんだ、メニューをこなして練習する確率が半分とかでだらだら、でもまぁその時は楽しくーみたいにやってたせいで、全然あっさり「はい、引退でーす」状態でしたが、
    高校はやっぱり違いましたね。高2で地方(近畿)大会に出られたのに、高3では1秒にもみたない差で敗北・・・リレー種目やっただけに今でも悔しさは思い出します。あの時は自然と涙がこぼれましたねー。
    全力度合いが全然違ったのは明白です笑

    返信
    1. かず 投稿作成者

      共感ありがとうございます!
      高3で負けることは部活終了を意味しますからね。やはりあの年頃に熱中したものには想いがこもります。
      負けたとき「あのときサボったし仕方ない」なんて思えないんだから、そうしたらやっぱり手を抜けないかな。
      という流れにもなりますよね。

      返信

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