「清風払名月 名月払清風」という言葉がこの大河のなかで2度使われたので、どういう意味なのか調べてみました。調べた結果、1度目(14話)に直虎が使ったときと、今回甚兵衛が使った意味合いが解釈できたので書いていきます。
もともとの意味
まずはそもそもの意味を知らないといけませんよね。調べたらこちらのサイトさんがとてもわかりやすかったので引用させていただきました。
「美しく輝く月」はそれだけでただ美しい。「さわやかで清らかな風」はそれだけでひたすら爽快だ。その二つがお互いに主人となったりお客になったりしながらその美を極めている。
つまり、月と風はどちらもそれぞれの素晴らしさがあり、それぞれ対立するのではなく、ふたつが役割を持ちながら高めているという感じでしょうか。
『直虎』においての使われ方
「清風払名月 名月払清風」この言葉を言った甚兵衛に、直虎は「覚えておったのか」と返しました。実は、14話の徳政令の話のときに1度目のこの言葉が出てきています。百姓たちが徳政令をだしてほしいという要望を、井伊家を飛び越えて今川に直接願い出たときの話です。
井伊家の武家に反発した甚兵衛たち百姓たちがとったこの行動で、武家と百姓の心は別れてしまいそうになりましたが、夜中にいっしょに田植えをして仲直りをしました。このときに直虎が言っていたのです。
そして今回の42話が2度目。今回も武家と百姓たちがいっしょに松を植えるという仕事をしていた場面で使われました。
でも、その前に松を植えることに対して百姓が反発していたシーンがありましたね。
木を戦のために切ったのは武家だろ?おれたちも忙しいのに手伝うのはなんかおかしい!
というのが百姓たちの意見でした。
しかし、ここで甚兵衛が一言。
武家が切った木が原因の山崩れでも、百姓に被害が出る可能性はある。だからおれたちも協力しないといけない。
さすが甚兵衛、器がデカい!と思ったシーンですが、この後、14話のときの直虎の「清風払名月 名月払清風」の言葉を覚えていての言動だったとわかることになります。
井伊谷の里のために武家と百姓、対立するのではなく協力し合う。
互いの良さを活かし合い、井伊谷を守り、よくしていく。
この生き方を「清風払名月 名月払清風」という言葉で表している。というのが、この大河ドラマの中でのこの言葉の意味合いなのだと思います。
甚兵衛死んじゃった
そんな甚兵衛、ついに死んでしまいましたね。「これは甚兵衛の松じゃ」という直虎のセリフと、「数年後…」という月日の流れからして、甚兵衛は死んでしまうのか!?と思いましたが、やはりそうでしたか。
「甚兵衛の松」と言われて照れる甚兵衛と、それをからかって何度も言う直虎。このやり取りは優しさと互いへの経緯に溢れていていいシーンでしたね。ここでも「清風払名月 名月払清風」=武家と百姓、強力してやっていくという雰囲気が滲み出ていました。(直虎はもう武家ではないのですがね)
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