【写真付】明智神社へ行ってきた!『麒麟がくる』の光秀像と神社のエピソード

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【写真付】明智神社へ行ってきた!『麒麟がくる』の光秀像と神社のエピソード麒麟がくる

福井県の東大味(ひがしおおみ)というところにある「明智神社」をご存知ですか?

今年の大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀の住居跡に立てられてた小さな神社です。

僕は日本史には疎いけど『麒麟がくる』大好き。実は今年の2月中頃に、この明智神社へ行ってきました。ちょっと近く(というほどでもないが)に用事があって。

この神社が立てられたエピソードと『麒麟がくる』の光秀像(あくまでも現時点での)がピッタリじゃないか!と思ったもので記事にしてみました。

明智神社のエピソード

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

明智光秀が越前(福井)にいたというのは有名な話。長良川の戦いで斎藤義龍との戦に敗れ、越前に移動。そして朝倉義景に仕えていたのです。

越前では10年ほど過ごしたということで、明智神社のある場所は光秀の屋敷跡であると伝わっています。

この明智神社、ただ屋敷跡だったから立てられたのはありません。福井県観光連盟のページを拝見すると、次のように書かれています。

天正3年(1575年)、柴田勝家が一向一揆を鎮めるために、現在明智神社のある東大味地区に兵を送り込もうとしたが、光秀は住民を守るため勝家に申し入れをしたと伝えられています。現在に至るまで、東大味の人々は光秀を慕いこの神社を守り続けてきました。
出典:ふくいドットコム/公益社団法人 福井県観光連盟

光秀に守られた住民の感謝の思いにより、この場所に光秀が祀られたというワケですね。

光秀の地元民への思いやりの証。それが明智神社なのです。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

光秀が柴田勝家に頼んで書いてもらったと言われる安堵状。この2通の安堵状により、この東大味地区の住民は戦火に巻き込まれずに済んだのです。(※明智神社パンフレット参照)

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『麒麟がくる』の光秀のキャラにピッタリ

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

明智光秀というと、織田信長を本能寺の変で討ったことにより、“逆臣”というイメージが強いですよね。

日本史に詳しくない僕にとっては、まさに明智光秀は裏切り者というイメージ一色でした。

しかし!現在放送中の大河『麒麟がくる』を見ていると、明智光秀はめちゃくちゃ好青年ですよね!

〇火事で逃げ遅れた女の子を助ける。
〇駒や菊丸といった商人にも丁寧で優しい。
〇織田の屋敷から逃がしてくれという竹千代を優しく諭す。

などなど。

また、主君の斎藤道三ら目上の人間にもハッキリと物を言い、しかもそれを認められる利口さもあります。

優しく正義感が強く、武術にも長けている。そんな印象を今放送中の時点の光秀からは感じます。

『麒麟がくる』の光秀の人物像(少なくとも今現在)ならば、明智神社の「住民を守った」というエピソードもすんなりうなずけます。

 

どうやって本能寺の変まで行き着くのか

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

逆に、『麒麟がくる』の光秀が信長を裏切り、本能寺の変を起こすイメージがまったくつきません。

確かに、利口過ぎたり、自分が正しいと思ったことは目上の人間にもキッパリ言い放つところが、伏線のようなところになっているのかもしれませんが。

とにかく、あの好青年で利口な光秀がどのように本能寺の変まで行き着くのか。

僕の最大の関心はココですね。いや、それはきっと僕だけではないはず…!

すでに光秀を応援する気持ちでいっぱいの僕ですが、僕のこの気持ちも変化していくのでしょうか…。

そんなところも含めて、日曜の20時をすごく楽しみにしています。

 

 

明智神社の写真と感想

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

ここからは、僕が実際に行って来た明智神社の写真と、少しばかりの感想を載せます。

①福井の山すその地区にひっそりある


(※クリックで大きくできますよ)

福井県東大味町は山あいの静かなところでした。もう少し東に進むと、朝倉義景の館があった一乗谷に辿り着く位置関係なのですね。(福井の一乗谷は有名ですよね!)

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

大きくはないけれど、ちゃんと駐車場もありました。大河ドラマを受けて今年は観光客が増えているそうです。(今はコロナウイルスの影響を受けているでしょうけど…)

ここに車を止めて200mほど歩くと明智神社に到着です。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

これは歩いている途中の写真。本当に集落の中って感じです。でも、のぼり旗がずっと立っているので道に迷う心配はありません。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

神社のすぐ近くに着くと、大きな看板があります。

光秀の娘の細川ガラシャ(玉)が生まれた地とされていて、ここに光秀が住んでいたときに生まれた子ということですね!

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

先ほどの大きな看板がないとわからない&本当に入って行っていいの?というくらい、家と家の間の路地を進みます。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

ありましたありました!ここが明智神社です!一気に雰囲気がある空間が現れました!

小さくても歴史を感じる神社

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

第一印象は、「小さい」でした。目だった装飾もありません。

しかし、近づいてよく見ると、その分逆にオーラを感じます。

当時の住民の手で祀られ、それからずっと長い間ここにあるというリアル感といいますか。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

歴史って、本当に過去から現在まで繋がっているんですね。当たり前のことなんですが、肌で感じるというのはなかなかできない体験です。

年に一度、光秀の命日の6月13日に御開帳が行われ、光秀の木像が見れるそうです。実際に見に行ってみたいな。

神社の資料館もある

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

神社を見ていた体勢から真後ろを向くと、資料館があります。

ちなみにこのとき僕以外は誰もおらず、日も暮れはじめていた時間帯で資料館のなかは結構暗く、勝手に電気のスイッチを押させてもらいました(笑) ちゃんと消して帰りましたよ。

過去の奉賛会の様子や御開帳のときの写真などが並んでいます。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

パンフレット類と、訪れた人が自由にコメントを書けるノートなどが置いてありました。

何かいいこと書こうと思いましたが結局やめておきました。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

記念にパンフレット持ち帰って来ました。知らないこといっぱいですな。

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」松尾芭蕉の句です。立派な切株の板に書かれたものが置いてありました。

光秀の妻の煕子が、光秀が貧しかったときに連歌会を開く際の費用を工面するため、自分の髪を売った話(黒髪伝説)をもとに芭蕉が読んだ句だそうです。

うむむ、調べ出すとどんどん広がりますね。そして深い。

 

実際に行ってみたり調べると大河はもっとおもしろい

【写真付】明智神社へ行ってきた!-かずのUPノート

2016年の『真田丸』から大河ドラマにハマった僕ですが、今回の明智神社はちょっとした機会があって実際に縁の場所に足を運ぶことができました。

やっぱり、実際に行ってみると、いろんなことを感じますね。そしてもっといろいろ知りたくなる。

そしてそして、大河がもっとおもしろくなってくる!

現在はコロナウイルスの影響で外出はなかなかできませんが、お家で過ごす時間が増えたことで、大河ドラマをきっかけにいろいろネットで調べるというのもいい趣味になるかもしれません。

『麒麟がくる』感想記事が最近サボり気味だ。せっかく見るんだからがんばって書こうと思います。良かったらまた読み来てくださいね!

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