映画「ぼく明日」切ない設定とそれに向き合う2人の姿【ネタバレ有り】

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映画

 

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」観てきました!
この作品は、原作を読んでめちゃくちゃハマった作品。
ついに映画化とあって、少し出遅れましたが鑑賞。
ネタバレをガツガツ含んでレビューを書いていきます。

久しぶりに恋愛系の小説を読みたいと本屋を物色していたとき、
この長いタイトルと帯に魅かれて原作を購入したのをよく覚えています。
 

 

 
ほら、中身が気になるでしょ?
買った後に読んで、あまりにもいい話だったので、
旧ブログにも記事を書きました。
人生をかけた恋をしたくなる物語。「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」
(長期間編集していないので広告が出て読みづらいのでご注意)
 
また、映画化が決まって歓喜したときの過去記事も
このブログで書いています。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」が映画化と聞いて心が踊る♪
 
 
原作を読んだ時から映画に映える内容だと思っていたので、
とにかく楽しみでした。
では、本題の感想を書いていきます。
 
 
◆全体的な感想
まずは観終わっての感想ですが、とてもよかった!
時間の流れ方が逆向きの世界の住民である
高寿(たかとし)と愛美(えみ)のふたり。 
 
お互いに5歳のときに相手に命を救われるという
運命的な出来事が彼らを結びつけているワケですが、
高寿にとっての明日は、愛美とっての昨日ということになり、
思い出が共有できない。別れも30日後とわかっている。
という何とも切ない罪な設定。
 
それによる葛藤や、それを乗り越える過程の心境も
よく描かれていました。
 
 
原作で泣けたシーンにはうるっと来たし、
またネタを知っているため、
要所要所で愛美の気持ちを察してしまい、
愛美の強くて優しい、前向きな心を感じてグッと来ました。
 
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◆シーンごとの感想や気づいたこと
そんな僕の琴線に触れたシーンをピックアップして、
感想や考察を書いていきます。
 
①高寿が最初に愛美に会ったときの愛美の涙
原作を読み終わって、物語の全貌がわかったそのとき、
一番泣けたのがこのシーンで、それは映画でも同じでした。
だから、序盤から僕は涙をこらえなくてはなりませんでした。
 
時間が逆向きに流れる、そして、会えるのは5年に1回、30日間だけ。
そのため、お互いに20歳という同い年で対面できるのは、
人生でこの30日間限り。
 
高寿にとって愛美と初めて出会ったとき、
愛美にとっては同い年の高寿に会える最後のときだったということで、
愛美はつい泣いてしまいます。
 
だけど、「また会える?」と尋ねる高寿には、
愛美は「また会えるよ。また明日!」と笑顔で答えなければなりません。
 
その運命の切なさ、そして愛美の高寿を想う気持ちが健気過ぎて、
ネタを知っていた身としては泣いてしまいました。

 
 
②“初めて”=“最後”という図式
このふたりの運命の最大の切なさがコレ。
高寿にとっての“初めて”は愛美にとっての“最後”になる。
 
主なところ羅列します。等式の左が高寿、右が愛美の視点。
 
・初めて愛美に出会った=(20歳の)高寿とはもう会えない
・下の名前で呼び合うようになった=下の名で呼び合う関係の終わり
・初めて手をつないだ=手をつなぐのは最後
 
ですから、今日このとき、同じことを共有していても、
ふたりの気持ちには大きな差があるという図式になるんですよね。
高寿はウハウハでも、愛美はつらくて泣いてしまう。
 
ふたりがとても仲良く、幸せそうだからこそ、
そのギャップが強くなり、いちいち愛美の健気さが胸にきます。
 
 
③それでも運命のとおり、流れを再現する愛美の強さ
そんな切ない運命について、高寿に打ち明ける愛美。
高寿は当然戸惑い、悩みます。
「思い出を共有できないなんてつらい」
「愛美は台本通りに動くだけで楽しくないじゃないか」
など、高寿の気持ちが世間一般の人間の気持ちで、
ある意味正常でしょう。
 
しかし、愛美はそうではなく、高寿と自分の切なくも大切な運命を
守るため、その歯車を丁寧に回すため、
自分の気持ちを抑えながらも、毎日過去の高寿と向き合います。
 
高寿との運命のつながりを大事に思う気持ちと
それに伴うつらさを受け入れる愛美の姿に感服させられます。
 
 
④ふたりで1つの命なんだ
ふたりの運命を受け入れ、
そして同時に愛美の覚悟も受け入れた高寿。
その高寿が口にした言葉です。
 
この言葉の前に、高寿は「なんで愛美とは家族になれないんだ」
と嘆き、号泣してしまいます。
僕も、高寿の身になると、まったく同じことを思うと思うんですよね。
お互いに好き合っているのに、いっしょに人生を歩むことができないなんて。
 
しかし、その後に高寿が導き出した答え。
それが「ふたりで1つの命なんだ」という言葉と思いました。
 
実はこの言葉、原作で出てきた印象がないんです。
あったのかなぁ。
“なるほど!高寿すごい”と感動した一言だったのですが・・・。
 
「家族にはなれない」
じゃあ、ふたりはどんな関係ととらえるとハッピーになれるのだろうか。
その答えが「ふたりで1つの命」というとらえ方だと高寿は気づいたのでしょう。
 
確かに、お互いの5歳のときに命を救い合っているふたり。
お互いの過去にそれがあるから、お互いの今があり、
20歳同士には恋人同士で居れている。
 
家族にはなれないが、ふたりで1つの命を動かしている。
そのために甘くも切ない20歳同士のこの期間があった。
こういく解釈ですよね。すばらしい。
前向きだし、ふたりの関係をより強める一言だったと思います。
 
 
 
◆まとめ
以上のように、僕にとっては原作に遜色ない、
むしろ小松菜奈がなかなか可愛くて、
その分映画もよかったように感じた、イイ映画でした。
 
愛美サイドの描写が原作にはもっとあったのですが、
映画で省かれていました。
(愛美が高寿たちの暮らすもうひとつの世界に行くときの心境とか)
時間の関係でしょうか、それだけ物足りなかった感はありました。
 
あと、こういう時間をまたいで…という設定の作品に、
細かい理論的な矛盾を指摘してあーだこーだ言う人がいますが、
そういう見方をするとまったくこの作品の良さがわかりません。
(それならバックトゥーザフューチャーとかを観ててください)
そんな無粋なマネはオススメしません。
 
映画化を希望していた作品が映画化され、
それも存分に楽しめた、何度も味わえるいい物語でした。 
 

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