『直虎』13話。「自灯明」の意味とブッダの教え。自分磨きの大切さを感じた。

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おんな城主直虎

 

『おんな城主直虎』今日も見ました!城主の難しさと中野の息子へのイラ立ち、そしてムロツヨシ再登場への驚きを感じた13話。
ですが、僕としては終盤に直虎と南渓和尚が話していた「自灯明」という言葉が初めて聞く言葉で関心を持ちました。調べてみると、ブッダ、つまりお釈迦様の教えだそうです。この「自灯明」という言葉から考えたことを書いていきたいと思います。

「自灯明」という言葉は、ブッダが死の間際に、ブッダがいなくなっては自分はどうしたらいいのかわからなくなってしまうと嘆いた弟子のアナンダに伝えた言葉だそうです。
ちょうどこの冬、タイムリーに手塚治虫の「ブッダ」を一気読みしたところだったので、ブッダはもちろん、アナンダのこともよく知っています。(でも自灯明のシーンはなかったと思います)
 
この「自灯明」という教え、それは“自分自身を拠り所として生きなさい”という意味だそうです。なるほど、字のごとく、“自分の灯の明かりで前に進め”ということなんですね。
 
 
この言葉の意味を調べてみて、僕が思い出したのは今年1年の仕事のこと。
ちょうど1年前の4月に辞令で部署異動をし、新天地での仕事に取り組むにあたり、まず気になるのは去年どうしていたか、ということ。
しかし、前任者も新たな仕事でてんやわんや。文書で引継ぎはもらっていても、現場の雰囲気とか具体的な事務手順が知りたい僕が質問をしてもなかなかクールに流される状態でした。「答える義務があるだろう」と最初は憤りも感じた僕でしたが、そのうち思いました。
 
人は人。あてにならない。自分の困難は結局は自分でやりこなすしか道はない。
 
そう思うと、これが意外と逆に楽になったのです。なぜなら、わからないことがあっても自分のやり方、考え方で進めて行けばいいからです。去年までの形などにこだわらなくても、目的や成果が果たせればそれでいいのです。
 
 
しかし、そのためには自分というものをしっかり持っていなければいけないし、必要な知識はもちろん必要になります。自分を磨くことが大事だなとプレッシャーを感じる一方で、自分を成長させることで幅が広がることも体験できました。
 
「自分磨き」というと、20代が異性にモテるためとか、女子力を上げるためにやることとイメージがありますが、自灯明をもって生きて行く僕たち現代人には、自分磨きというものは、すなわち人生の充実度に直結することだなと思います。
 
より感度と明度の高い”自分の灯”を持つため、自分磨きの手を緩めてはなりませんね。
(あ、今回ほとんどドラマの内容に触れてない・・・) 
 
  

 
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