『おんな城主直虎』がついに終わってしまいました。見事な最終回でたくさん感動したところ、気づいたことあったけど、一番は井伊直政の赤備えの軍でしたね。この赤備えの軍は、直虎の“石(意志)”を継いでできたものだったんだ!という感動。そして前回大河『真田丸』からの伏線を見事に回収しました。
『真田丸』からの伏線
去年の大河『真田丸』のなかで、クライマックスの関ヶ原の戦いの場面において、同じ赤備えの井伊直孝(直政の次男)の軍を指し「向こうにもここ(赤備え)に至る物語があるのであろうな」というセリフがありました。大河ファンなら全員が覚えているはずのこの伏線満載のセリフ。いやいや、見事な回収の仕方でした。
「石(意志)を継いでの赤備え」という物語
それは、直虎の意志だったんですね。病死した直虎の意志を、家康が直政に伝えたこのシーン。
「(直虎は)お家の潰れる哀れをなくす事を考えておられたそうじゃ」
この言葉で、直政は直虎の最期の意志を知ります。
織田との戦いで武田家は潰れ、その一部は徳川に従いました。この赤備えの武者たちの侍大将に抜擢された直政。
そんな直政は、自分の軍を潰れた武田家に合わせた赤備えとしたのです。同じく、一度潰れた家の者として。そして、直虎の意志に答えられるように。
この意志を継がせるまでの、1年間、50回に渡る物語。それが大河ドラマ『おんな城主直虎』だったのですね。
また、目には見えない“意志”を“石(碁石)”にかけるまでの物語もかなり壮大でした。そこには、小野政次が大きな存在としています。政次の最期、直虎が自ら槍を持ったあのシーンは比喩でなく忘れらないと思います。
井伊と真田の赤備え。ルーツは同じ!?
あれ!?ということは…!
井伊と真田の赤備えのルーツはどちらも武田ってことになるんじゃないの?ということに僕は気づいたのですが、皆さんはそんなこととっくにわかっていたのでしょうか?
確か、真田幸村が赤備えにしたのは、武田をならって、でしたよね?もともと日本史に詳しくないし、去年の『真田丸』のその部分のこともうろ覚えなので、間違っていたらごめんなさい。
でも、そうだとしたら、2つの大河ドラマが2年の時間をかけて繋いだこの物語、そのリンクの仕方。とてもとても深いです。この2年間ですっかり大河ドラマファンにされてしまいました!
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