「麒麟がくる」第2回。1話に続き戦のシーンが多くて、日本史に疎い僕もシンプルに楽しめる回でした。
今日印象に残ったのは、叔父に似た侍大将を討ったことによる葛藤にさいなまれる光秀の純粋さと、守護大名の土岐頼純を毒殺した斎藤道三の策士ぶり。
この2つのコントラストの深さに、「なんて面白いドラマだ!」と思ってしまって仕方ありませんでした。
今日の感想と、そこから考えたことを書いていきます。
誠実な若者と策略家のベテラン
若き光秀は、叔父に似た敵の大将を討つことを躊躇してしまいましたが、自分の身に危険が迫ったことで結果その大将を討ち取りました。
そのできごとで、武士の本懐や武士の誉というものについて、勝利に湧く城内で悩み、打ちひしがれていました。
戦の経験はすでに何度かあるようですが、光秀はまだ若く、一つひとつの経験からいろんなことを学び、感じていることが描かれていました。
対して、齋藤道三は“蝮”と言われるのもうなずけるほど、凄腕の策略家でしたね。
今日の織田戦でも、相手の戦略と心理を読み、2万対4千の不利な戦に完全勝利。乱破(らっぱ)と呼ばれる忍者がいることを利用し、相手を油断させて討ち取るという戦略でした。
そして、今日の放送の最後の場面では、守護大名で自身の娘婿の土岐頼純(ときよしずみ)の謀略をきっちりキャッチし、毒殺してしまうという謀略仕返しぶり。
自分の欲しいものや果たしたいことのためには、謀略と非情さをフルに使ってつかみ取る。
「やらなきゃやられる」光秀が感じたことを、道三はすでにイヤというほど経験していて、やられる前にやるという行動を自然に取っているということなのでしょう。
もうちょっと自分勝手に生きてもいいかも
そんな感想を持ったあとに僕の頭に浮かんできたのは、こんな考えでした。
道三のしたたかさが、今の僕にはすごく輝いて見えてしまったのです。
会社や周りの人に遠慮していると、どんどん窮屈な環境に自分が追いやられてしまう。戦国時代ほどではなくても、この令和もそんなところありますよね。
自分が手に入れたいものはもっと主張して、ちょっと強引でも実際に取りに行く。そんな姿勢を持たないといけないなと。
平たく言えば、もっと自分勝手に生きてみてもいいのかもしれないと。そんなことを考えました。
人がどう思うか。僕はついそればかり考えてしまうのですが、人は人で、その人なりにちゃんと考えてやっていくんですよね。
欲しいものは虎視眈々と狙っていく。そんなしたたかさを30代の男としては見つけていきたいものです。
光秀も、きっと道三から学んでいくのでしょう。来週がまた楽しみです。
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