『火垂るの墓』のラストカットの意味は?僕なりの解釈

このサイトの記事内では「アフィリエイト広告」などの広告を掲載している場合があります。
消費者庁が問題としている「誇大な宣伝や表現」とならないよう配慮し、コンテンツを作成しておりますのでご安心ください。
問題のある表現がありましたら、お問い合わせよりご一報いただけますと幸いです。

 

映画

 

『火垂るの墓』の最後の最後のカットの存在。知ってますか?これ、めちゃくちゃ強烈なカットで、死んだはずの清太が、現代のビル群を眺めているんです。

 

これを見ると、僕はどうしても考えてしまうことがあります。

それは、このビル群を眺める清太の気持ち。

 

 

うらやんでいるのか…。

 

それとも、祈っているのか…。

 

 

うらやんでいるなら、悲しすぎる。

祈ってくれているなら、切なすぎる。

 

そう考えてしまってめちゃくちゃ泣けてしまうんです。

 

子どものときは存在さえ知らなかった、本当のホントにラストの数秒のカット。

大人になって見ると、ものすごいメッセージのある物語であることがわかりますよね。

 

[ad#ad-1] [ad#ad-2]

コメント

  1. Ken より:

    久々に見たけど、自分もこのラストの絵に見入ってしまった…

    「うらみ」か「祈り」か?
    どちらかというと後者に近い気がするけれど、今も清太と節子が神戸を、ひいては日本の行く末を見守っていると思うと感慨深いものがある。

    • かずかず より:

      Kenさん
      インパクトがものすごいですもんね。
      僕も「祈り」であってほしいという、逆に祈りの気持ちです。
      実際にいた清太や節子のような人たちの存在を忘れてはいけませんね。

タイトルとURLをコピーしました